「リーダーシップの旅」, 野田智義, 金井壽宏

 

社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。はじめからフォロワーがいるわけではなく、「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、だれかから教わるものでもない。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。リーダーシップはだれの前にも広がっている。何かを見たいという気持ちがあれば、可能性は無限に膨らむ。自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。

 

【印象的な表現や文章】 

「『他の人が見ない何かを見てみたい』という意思をもつあらゆる人の前に、リーダーシップへの道が開けていることを、彼の行動は示しているのではないか。」(P.25)

 

「リーダーの条件、リーダーシップの要素といったものは現実に存在し、それを事後的に分析し、語ることはできるだろう。だが、それらの多くは後付けされたものだ。リーダーシップには、目標を設定して成長に向けて励むという側面がないわけではないが、それ以上に私はこの本で、リーダーは『結果としてなる』ものだと強調したい。リーダーはリーダーになろうと思ってリーダーになるのではなく、行動の積み重ねの結果としてリーダーになるのだ。」(P.27)

 

「例えば、キャリアのような一見ミクロなトピックも、ひいては天下国家レベルでの国の元気、勢いにまでかかわってくる。そういう意味ではマクロへの含みをもっているが、基軸となる焦点は、いつも一人ひとりの個人だ。」(P.30)

 

「リーダーには実像があるけれども、リーダーシップという影響力過程そのものには形がない。・・・リーダーシップ研究がしばしば陥ってしまう例えば、キャリア『言葉遊び』を『ランゲージ・ゲーム』という一言に掛けたのだ。」(P.30)

 

「リーダーシップはリーダーの中に存在するというよりも、リーダーとフォロワーの間に生じる社会的現象であり、ダイナミックなプロセスだ。リーダーの言動を見て、フォロワーの大半がそれをどのように意味づけるかというプロセスの中に、リーダーシップは存在する。リーダーの影響力が行使されるには、フォロワーが『喜んでついてくる』ことが不可欠の条件となる。そう考えると、少し変な言い方になるが、リーダーシップはかなりの程度、フォロワーの側にあるとも言える。」(P.48)

 

「リーダーシップの旅は、『リード・ザ・セルフ(自らをリードする)』を起点とし、『リード・ザ・ピープル(人々をリードする)』、さらには『リード・ザ・ソサエティ(社会をリードする)』へと段階を踏んで変化していく。この流れをリーダーの成長プロセス、言い換えれば、リーダーが『結果として(すごい)リーダーになる』プロセスと見なせば、リーダーシップをさらに動態的にとらえることに可能になるだろう。」(P.50)

 

「旅に出たいかどうかを、私たちはまず『頭』で考える。頭では出たいと思っていて、人に聞かれれば、自分は旅に出たいと答えるのに、なかなか一歩が踏み出せないことがある。それは『心』が旅に出ることを渇望していないからだ。・・・そういう『吹っ切れ』がなければ、リーダーシップの旅は始められない。」(P.53)

 

「戦の折に馳せ参じてきたら所領を安堵するとか、アメリカの大統領選で選挙キャンペーンを後押ししてくれたらホワイトハウスに入れてやる、といった貢献と誘引を交換するリーダーを政治学者J・M・バーンズは『トランザクショナル(取引的・交換関係の)・リーダーシップ』と名づけた。」(P.68)

 

「社会の転換期に『見えないもの』を見て、志と目指すものの崇高さゆえに、飴やムチを使わずに大変革を成し遂げた人を『トランスフォーメーショナル・リーダー』と呼ぶ。経営学者として最初にこの言葉を使ったのはミシガン大学のN・M・ティシーだった。」(P.69)

 

「R・J・ハウスはリーダーを『自然発生的なリーダー(emergent leader)』『選挙で選ばれたリーダー(elected leader)』『任命されたリーダー(appointed leader)』の三タイプに分け、リーダーシップの議論が紛糾しているのは、これらが峻別されてこなかったからだと指摘した。」(P.70)

 

「教育を受けた私たちの姿勢や態度は、ヒエラルキー、つまり序列化された秩序がある組織におけるリーダーシップの存在を、非常に分かりにくくさせている。」(P.81)

 

「一般的な会社や組織において、部下がトップについていくのは、トップがリーダーシップを発揮した結果によってではなくヒエラルキーによってだ。」(P.82)

 

「ヒエラルキーの中では、リーダーシップではなく、マネジメントが日常的に機能する。」(P.83)

 

「そういった人たちをリーダーと呼ぶのはなぜだろうか。彼らが成し遂げたこと、挑戦したこと、挑戦し続けていることを考えると、その理由が見えてくる。『リーダーは創造と変革を扱う』。」(P.96)

 

「だれかが達成した後には当たり前に見えるが、その前には到底不可能と思えること。創造とはこういうものだ。」(P.98)

 

「起きてしまえば当たり前なのに、起きるまではだれもそれを想像することができない。変革とはそういうものだ。」(P.99)

 

「この諺が語る創造と変革の共通点は、『事前のあまりにも高い不確実性』と『事後には当たり前だと受け入れられる常識性』ということになる。事前の不確実性と事後の常識性、その間にあるのは、連続ではなく非連続だ。」(P.101)

 

「リーダーは常に先頭を切り、本人がそこにいないだけで支障が生じる。職場で上司のリーダーシップの度合いを測りたかったら、その上司が不在の時の混乱の度合いを見るといいかもしれない。」(P.103)

 

「現代においてリーダーとマネジャーのどちらのタイプが不足しているかと言うと、戦略発想で変革・イノベーションを起こせるリーダーだというのがコッターたちの主張だ。・・・リーダーシップを大人になってからの有力な発達経路の一つと考えている。担当者からマネジャーとなり、やがてマネジャーからリーダーへ脱皮するという発達経路は、決して決定論的なものではないが、少なくとも蓋然性の高い確率的プロセスだと思われる。」(P.105)

 

「・・・こうしたケースは、まさに変革型リーダーが、リーダーシップとマネジメントの両機能を同時にうまく果たしていること、果たさねばならないことを示している。」(P.108)

 

「・・・マネジメントによって複雑性を減少させることが組織化のプロセスであり、目的達成のため、・・・だが、ここで問題が発生する。・・・組織は活動を効率的かつスムーズに進めていくために、ある環境を一定のものととらえ、その環境への適応力を高めようとする。そのことは環境が安定しているうちは問題にならないが、絶えず環境が変化するような時代に入ると、組織の首を絞め始める。過去への過剰適応が、現在の環境との乖離を生んでしまうからだ。そのような組織は柔軟性に乏しくなり、不活性化・硬直化する(これを組織のイナーシア<inertial>と呼ぶ。」(P.111)

 

「リーダーシップは、実際にリーダーシップをとった人にしか教えられない。だから、『リーダーを育てるリーダー』の存在がないと、リーダーシップの連鎖は生まれない。」(P.113)

 

「人はいったん組織の論理に従って生きる術を身につけてしまうと、いつの間にか慣行に従い、みんなと同じものを見るような生き方に染まってりまう。なおかつ組織は、個に同化を強烈に求めてくる。」(P.117)

 

「N・M・ティシー『リーダーシップについて自分の経験や観察を通じて、人に教えようと思えば、教えられる自分なりの考え、見解』をTPOV(Teachable Point of View)という略語で強調する。」(P.122)

 

「リクルートは、社員が『自ら機会をつくり出し、機会とともに成長する』ことを創業以来強く打ち出し、個の自立と尊重が今でも経営の要諦となっている会社だ。個の論理が組織の論理に先立つ企業であり、リクルートを強い会社にするために自分が存在するのだと思うような社員は、あの会社にはまずいないと思う。自分が成功するために、リクルートが存在し、自分が成功することで、リクルートも成功すると考えるのだ。」(P.124)

 

「リーダーは、次のリーダーを育成することでリーダーになっていくとも言える。そのことをティシーは『リーダー・ディベロッピング・リーダー』と表現した。」(P.127)

 

「自分が本当にやりたいことが見えてくるのは、一定の年齢に達してからであって、それ以前にまず信頼の土台がないとリーダーシップは発揮できない、というのが藤原さんの考え方のように思われる。」(P.135)

 

「その人の価値観だけでなく、才能や能力、動機や欲求にも目を向けることになる。・・・統合的にとらえられる自分の姿を示唆するのがキャリア・アンカーだ。」(P.141)

 

「社会心理学者のE・P・ホランダーは、エマージェント・リーダーを研究課題とした古典的な実験室実験から、信用のダイナミックな蓄積に注目し、リーダーシップの発生を潜在的なリーダーとメンバーの間の相互期待の形成過程の中にとらえようとした。」(P.150)

 

「人は多かれ少なかれ、ヒードニズム(快楽主義)だから、得られそうな満足で選択肢を天秤にかけることはよくあることだ。しかし、たった一回の人生やキャリアという航海の節目で、残りの生涯、自分に開かれている様々な選択肢のうち、これをやらなかったらどういう後悔があるのかという観点は、悔いのない人生を送る上で重要だろう。」(P.157)

 

「なぜ、意志の力、ウィルパワーが大切なのだろうか。組織や企業では、そしてマネジメントの世界では、人を動かすときにはモティベーションが重要だと言われる。しかし、創造と変革に挑み、不安とリスクに直面し、不確実な未来に向けて一歩を踏み出すためには、だれかに、または何かにモティベートされる(動機づけされる)だけでは足りない。外から与えられたものは、状況の変化の中で意味をなくしてしまうことが多いし、予期せぬ出来事に遭遇すると、自分を支えるものとしては、十分に機能しないからだ。」(P.193)

 

「リーダーシップの実践的研究・研修などに熱心なロミンガー社の調査によると、企業の経営幹部に『リーダーシップを発揮する上で有益だった経験は何ですか』と尋ねたところ、『仕事上の経験』(何をしたのか、What)が七〇%を占めていた。続いて『関係』(だれの薫陶を受けたのか、主として上司との関係、場合によっては顧客や取引先に鍛えられることもある、With whom)が二〇%、『研修』(Off JT)は一〇%ぐらいしかない。要するにリーダーシップの学校は『経験』であり、学校や研修『だけで』身につくものでない、ということだ。」(P.208)

 

「座学は、人が旅を歩みだすためのきっかけ、もしくはきかっけを生む触媒にすぎず、それ以上でもそれ以下でもない。・・・リーダーとして歩む力が最も有効な形で磨かれるのは、苦しい修羅場体験をした時だ。」(P.224)

 

「それに何よりも、こうした要素分解ではどうしても表せない力、あるいはこれらの要素を底辺で貫く力がある。それは、リーダーが人としてもつ魅力、つまり『人間力』だ。・・・戦略的思考とかコミュニケーションスキルを磨く前に、魅力的な人間であること、リーダーシップはこれに尽きると言ってもいいかもしれない。」(P.229)

 

「R・グリーンリーフは、リーダーと『サーバント(従者、奉仕する人)』という本来一致しない言葉を同居させ、リーダーが自分たちに奉仕する、尽くしてくれると思える時にフォロワーはついていくと考えた。ジャウォースキーのALFもサーバント・リーダーをセオリーの基盤に置いている。」(P.250)

 

「人々とうまくつながっているほど、達成のレベルも高く、そのことをともに喜び合える人がいる分だけ、スケールの大きな仕事ができる。達成と神話が溶け合うのだ。逆に、心の方程式によって人を支配したり、達成だけを旗印に前進するような仕事のやり方は、やがて破綻をきたす危険性がある。」(P.255)

 

「したがって独裁者や一部の新興宗教の怪しげな教祖をリーダーとみなす場合は、リーダーシップにはそのような『ダークサイド』があることに大いに注意しなければならない。その意味でも、カリスマ論に、経営者のリーダーシップ論を見出すのは危険だ。」(P.266)

 

「リーダーシップには暗黒面がある。したがって、リーダーには高い倫理観が要求される。この結論が変わるわけではない。」(P.274)

 

「リーダーでなければ、リーダーを教えることはできない・・・米国で3M、ベストバイ、ゴールドマンサックス、ペプシコ、ホームデポなど、リーダーシップ教育で定評のある企業を多数訪ねた際に、最もよく聞いた言葉だ。」(P.296)