「燃えよ剣」, 司馬遼太郎

 

<上巻>

幕末の動乱期を新選組副長として剣に生き剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑な生涯を描く。武州石田村の百姓の子”バラガキのトシ”は、生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって、浪人や百姓上がりの寄せ集めにすぎなかった新選組を、当時最強の人間集団へと作りあげ、己も思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく。「竜馬がゆく」と並び、”幕末もの”の頂点をなす長編。

 

【印象的な表現や文章】

「人間、生まれがちがえば、光りかたもちがってくるものだ」(p.108)

 

「隊内を工作して、やがては近藤をして総帥の位置につかしめるには、副長の機能を自由自在につかうことが一番いいことを歳三はよく知っている。」(p.221)

 

「あんたは、総帥だ。生身の人間だとおもってもらってはこまる。奢らず、乱れず、天下の武士の鑑であってもらいたい。」(p.249)

 

「そのころの経験で、長兄や次兄がうろうろやってきて口を出すたびに作業の能率がおちたことをおぼえている。命令が二途からも三途からも出ることになるからだ。」(p.306)

 

「歳三の心底にも叫びだしたいものがある。理想とは、本来子供っぽいものではないか。」(p.308)

 

 

 

<下巻>

 

元治元年六月の池田屋事件以来、京都に血の雨が降るところ、必ず土方歳三の振るう大業物和泉兼定があった。新選組のもっとも得意な日々であった。やがて鳥羽伏見の戦いが始まり、薩長の大砲に白刃でいどんだ新選組は無残に破れ、朝敵となって江戸へ逃げのびる。しかし、剣に憑かれた歳三は、剣に導かれるように会津若松へ、函館五稜郭へと戊辰の戦場を血で染めてゆく。

 

【印象的な表現や文章】

「大将というものは、悩まざるものだ。悩まざる姿をつねにわれわれ幕下に見せ、幕下をして仰いで泰山のごとき思いをさせるのが、大賞だ。お前さんが悩んでいるために、みろ、局中の空気は妙にうつろになっている。」(p.69)

 

「勝つためには策が要る。策をたてるためには偵察が十分でなければならない。喧嘩の常法ですよ」(p.398)